ヒトメボ

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ファッションビル、映画館、ライブハウス、レコード店……。

数々のお店と人々がひしめき合い、今もなお新たなカルチャーが生まれ続けている街、渋谷。

そんな渋谷にゆかりある方々に「私を作った渋谷 5つの地点」と題し、渋谷にあるお店やスポットにまつわる思い出を語っていただきます。

今回は、「鉄蓋観賞愛好家」としてマンホールの蓋について研究している白浜公平(しらはまこうへい)さん。

脚元に目を向けると、渋谷という街の歴史や変遷が見えてきました。

1.下を見てもハチ公が!? 待ち合わせの定番『忠犬ハチ公像のマンホール』

ハチ公前広場は言うまでもなく待ち合わせ場所の定番だ。いつも人が多いけど、ハチ公像はよく目立つので皆それを目印にする。でも足元にもハチ公がいることを知っているだろうか。

何度となくハチ公前を待ち合わせ場所にしたことがあるけれど、僕は全然気づいていなかった。マンホールの蓋が好きで全国あちこち見て回っているのに、それでも気がつかなかったのだ。でもそこに、しかも幾つも、ハチ公をデザインした蓋があった。待ち合わせという目的の前に、僕の目は節穴になってしまっていたのだった。

人が多いから、別の目的があるから、様々な理由があったにしても、目に入っているのに認識できていないものがあった。それも自分が好きなものなのに。衝撃だった。蓋に限らず、同じようなことはたくさんありそうだ。見慣れたものでも新たな発見は常にある、そんなことに気づかせてくれた、それがこの蓋でありこの場所だ。

2.1枚に物凄い情報量が組み込まれている『道玄坂のマンホール』

道玄坂の名前の由来は、一説によると山賊の名前なのだとか。しかしこれを「犬と縁のある坂」と表現した人がいる。道玄坂に設置されているマンホールの蓋に、それは刻まれている。

「DOG・EN・SAKA」、間にある点を無視すれば「道玄坂」と読めるし、点で区切って読めば「犬・縁・坂」とも読める。蓋の模様をよく見ると、たくさんの人が行き交う様子と、たくさんの犬が並んでいる様子とが入れ子になっている事に気がつく。しかも尻尾を巻いた犬と首輪をした犬とが一匹ずつ紛れ込んでいる。

素敵なデザインの蓋なのでブログで紹介したところ、この蓋を制作したという方からコメントがあった。まだ知らなかった逸話も知ることができたし、実はその人が僕の知り合いの知り合いだったということも分かった。嬉しい驚きだった。犬だけではなく人とも縁のあった坂、僕にとって道玄坂はとても思い出深い場所の一つなったのだった。

3.見えなくても今に繋がっていることが実感できる『宇田川遊歩道のマンホール』

宇田川町。くねくねと曲がった遊歩道、水もないのに川と名のついた地名。調べてみるとここにはかつて宇田川という名前の川が流れていたのだそうだ。支流が童謡「春の小川」に歌われているという説もある。綺麗な川だったそうだが、都市の発展に伴って現在では下水道として地下に流れている。

ある日この遊歩道を散策していたところ、一見地味だけど、どこか気になるマンホールの蓋に出会った。おでこに窓のようなものがあるこの蓋は、「謎の蓋」という分類で僕のデータベースに格納された。

後日、下水道展というイベントで同じ蓋を見かけた。この蓋はバッテリーとアンテナとを装備し、下水道の情報を電波で送信するという最先端のハイテク蓋だった。既に宇田川遊歩道での実証実験は終了していて、設置期間は一年足らずだったとか。確かめにもう一度行ってみたら、伺った話の通りこの蓋はもう無くなっていた。一期一会、何事も油断できないのだ。

4.東京都が「府」だった頃の骨董蓋『並木橋のマンホール』

東京都ができる前、明治から昭和初期までの長い間、東京は東京府という名前の自治体だった。稀にその頃の蓋が現役で使われているのを見かけることがある。並木橋の脇に残るこの蓋もその一つで、東京府の紋章が入っている。さらにこの蓋の地紋は「東京市型」と呼ばれるものの変則版で、関東大震災の復興事業の一環で設置されたものらしい。

とある番組でこの蓋を紹介した際、「東京市型」地紋の考案者について、ある人物だとの仮説を立てて研究していることをお話した。こういった工業デザインの考案者については残っている資料が少なく、実はこの研究は壁にぶち当たった状況だった。

番組終了後、この模様の考案者だと私が予想している人物の子孫にあたるという方から、直接連絡をいただいた。未だ結論は出ていないものの、研究に役立つお話をたくさん伺うことができた。何がどこで役に立つかわからない。僕が蓋から学んできたことは本当に数多い。

5.渋谷が町だった時代の生き証人『広尾小学校脇のマンホール』

まさかこの蓋をこの手で開ける日が来るとは、それは何とも貴重な体験だった。とある番組で渋谷周辺の珍しい蓋を幾つか紹介したのだが、そのうちのひとつが旧字体で「澁谷水道」と書かれたこの蓋だった。

まだ渋谷が東京の郊外で、豊多摩郡澁谷町だった時代の蓋なのだが、ここ広尾小学校の脇に奇跡的に残っている。番組スタッフの方が許可を取ってくださり、この蓋を開けることができたのだ。

番組では蓋を開けるシーンはカットされていたので、恐らくそれほど絵になるシーンではなかったのだと思う。でも、僕にとっては重大事件だった。

教科書や書物で学ぶ歴史には、なかなか実感が伴わない。その時代を経験していないので仕方のないことなのだが、その時代のものを実際に目にし、手に触れることでいくらか補うことができる。この蓋に直接手を触れて開けるという行為を通して、今まで学んできた歴史と僕の生まれてからの歴史とが一つに繋がったのだ。

プロフィール

白浜公平(しらはま こうへい)

鉄蓋観賞愛好家。マンホールのふたが大好きで、マンホールナイトやマンホールサミットなどのイベントで講演やマンホールふたを見て回る街歩きを開催。 『タモリ倶楽部』、『マツコの知らない世界』、『ピエール瀧のしょんないTV』などのTV番組にも多く出演している。

ブログ:http://ekikaramanhole.whitebeach.org/

※「私を作った渋谷 5つの地点」は、ヒトメボアプリ内ではマップ上で確認いただけます。

(撮影、編集/高山諒+ヒャクマンボルト)

(白浜公平)
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