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2012.08.10
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2012.08.10
片想いや叶わぬ恋のまっただ中にいる人も、恋人との関係がうまくいかず悩んでいる人も、はたまた恋愛するチャンスがないと嘆いている人も…。形は違えど、誰もが恋の悩みを抱えていると思います。
そんなとき、小説や友人の助言など、とある言葉に勇気を与えられたことはありませんか? その中には、偉人の残した「名言」もあるのではないでしょうか。そこで、そんな名言を数多く残した作家の武者小路実篤をクローズアップし、彼の「恋愛にまつわる名言」を振り返ってみたいと思います。今回ご紹介するのはコチラの名言。
これは実篤の代表的な作品である小説『友情』の中に出てくる言葉。主人公の野島という青年は、杉子という少女にめぐり逢い、彼女の明るい性格と美しさにたちまち恋をします。そんな野島の恋を応援する大親友の大宮が、恋愛について独自の考えをもって励ましたのがこの言葉でした。また、大宮と野島のやりとりの中では、
「恋はあつかましくなければ出来ないものだよ」
「本当の恋はあつかましいものには出来ない」
というセリフも登場します。自分の欲望ばかりを押しつけようとしたり、策略的になってしまう恋がある一方で、ひたすらに純粋な恋の尊さを説いた名言ですね。また、作中で彼は結婚について次のように語っています。
「恋があって相手の運命が気になり、相手の運命を自分の運命とむすびつけたくなるのだ。それでこそ家庭と云うものが自然になるのだ」
相手の幸せを成就するために自分が尽くすことが恋愛で、その上に成り立つものこそが家庭である…。このように清純でまっすぐな愛を語る実篤自身には、竹尾房子という妻がいました。ところが、奔放な性格の房子は、実篤の妻でありながら他に若い恋人をつくってしまい…。そんな房子の姿を見守りつつも葛藤していたとき、実篤は飯河安子という女性と出会い恋愛関係に発展します。
その後実篤と房子は離婚し、実篤は安子との間に3人の子どもをもうけ、一方の房子はまた別の男性と結婚することになります。しかし、別れた後も実篤と房子の関係は険悪なものではなく、房子夫婦と実篤は生涯にわたってよい関係を築いたとされています。このように、単なる恋愛を超え人としての深い愛を実感したからこそ、実篤の言葉には考えさせられるものがあるのかもしれません。
さらに、人はどのように生きるべきかを説いた壮年期の作品『人生論』のなかでは、恋愛に関しこんな言葉も語っています。
相手のためを思い全力で愛情を注ぐ経験は、本気の恋愛でしか味わうことが出来ない―。そんな恋愛こそ、まさに自然から与えられた贈り物として大切にすべきなのかもしれません。
純粋な恋愛を理想とし、本当の愛とはなにかを考えるきっかけを与えてくれる実篤のストレートな言葉たち。自分より相手のことを優先し、思いやる気持ちこそが恋愛の本質なのかもしれないと、改めて気付かせてくれますね。
(池田香織/verb)
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