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2019.01.13
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2019.01.13
『リッジレーサー』は、もともとはナムコが開発したアーケードゲームですが、家庭用ゲーム機に移植され日本のカーレースゲームの代表格となりました。リッジレーサーには独特の魅力があり、今でも根強いファンがいます。今回はリッジレーサーあるあるについてヒトメボ読者に聞いてみました。
「必ず新しいゲーム機と同時に発売される」(東京都・40歳男性)
「『ファミ通』のソフトの発売予定を見ると必ず新機種の先頭にある」(東京都・36歳男性)
新ゲーム機と一緒に発売されるローンチタイトルには必ずといっていいほどリッジレーサーの名前がありましたね。かつてリッジはゲームソフト界の切り込み隊長だったのです。
「リッジといえば永瀬麗子!」(東京都・44歳男性)
「CGキャラのレースクイーンが出たのには驚いた」(東京都・33歳男性)
イメージキャラクター永瀬麗子が初登場したのは1996年に発売された『レイジレーサー』。本作は「リッジ」を進化させたゲームというコンセプト。そのためタイトルは「レイジ」となっています。永瀬麗子は以降のリッジシリーズに受け継がれました。
「リッジレーサーのBGMは至高。レースにマッチしたサウンドだった」(東京都・36歳)
リッジレーサーで使われている音楽を褒める人は多いですね。疾走するクルマに合ったサウンドでプレーヤーの気持ちを最高に盛り上げてくれました。
「ナムコのサービスだと思うけど、おまけもリッジレーサーの魅力だった」(東京都・40歳男性)
「PS3版ではおまけで『ゼビウス』が遊べた」(東京都・38歳男性)
皆さんが「おまけ」と言っているのは起動時(NOW LOADING時)に遊べるミニゲームのことでしょう。例えば、PlayStationのローンチタイトルだった初代『リッジレーサー』では『ギャラクシアン』のミニゲームが遊べました。XBOX360のローンチタイトル『リッジレーサー6』では『パックマン』のミニゲームが、PlayStation3のローンチタイトルだった『リッジレーサー7』では『ゼビウス』のミニゲームが遊べましたね。ナムコはゲームファンを楽しませることを忘れない会社でした。
「タイムアタックで少しでもいいタイムを出すため、ドリフトの練習を頑張った」(東京都・41歳男性)
「ドリフト」「タイムアタック」こそリッジレーサーの真骨頂といってもいいでしょう。自在にドリフトできるようにプレーヤーは苦心惨憺でした。神業のようなドリフトを繰り出す友達はいませんでしたか?
「リッジは黄色!というイメージが強い」(東京都・31歳男性)
「イメージカラーがなぜか黄色だよね」(埼玉県・29歳男性)
「リッジレーサーは黄色」というイメージがつくようになったのは『R4 RIDGE RACER TYPE 4』(PlayStation用:1998年発売)からですね。このR4はプレーヤーからの評価も高い傑作でした(技術的にも初代プレステの限界に挑んだ作品といわれています)。R4ではパッケージ、コンソール画面が黄色を基調として統一されていました。
「デビルカーを出すのに一生懸命だった」(東京都・38歳男性)
リッジレーサーのボス的クルマで、このクルマに勝つとこれを使えるようになります。デビルカーは基本ゲームをクリアしないと出現しないので、プレーヤーはまずデビルカーを出すことを目標に頑張りました。
筆者は昔ゲーム雑誌の編集部近くで働いていたことがありますが、新しいゲーム機が編集部に着くと、必ずアルバイトの誰かが夜中までリッジレーサーをプレーしていたものです。リッジレーサーは新しい家庭用ゲーム機と共にあるソフトでした。皆さんは、リッジレーサーというとどんなことを思い出しますか?
(高橋モータース@dcp)
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