ヒトメボ

日本古典文学研究家

桜川ちはや

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 恋愛小説、ラブソング、詩集…などなど、恋をすると様々なジャンルで「キュンとする言葉」や「共感できるフレーズ」に出会ったりしますよね♪ そのような胸に染みる言葉を綴った日本最古の代表作といえば…あの有名な「万葉集」です。

「万葉集は、今から約1300年前に編まれた、日本で最も古い歌集です。全20巻で構成され、じつに4516首もの和歌が収録されているんですよ。また、天皇から貴族、官人、庶民まで色々な身分の作者がいるのも特徴。当時都のあった奈良のほか、越中富山や、九州太宰府、東の国まで幅広い範囲で歌われたものを集めてあります」

 と教えてくれたのは、万葉集研究家で『女と男の万葉集』の著者である、桜川ちはやさん。これだけたくさんの数の歌が収められていれば、恋がテーマとなった歌もかなり多そう! もしかしたら、昔の恋の歌から当時の恋愛事情が知れるかもしれません! …というわけで、今回は万葉集に収められた恋の歌をピックアップし、その現代版の解釈をご紹介。桜川さんに、「これぞ! 」というとっておきの恋の歌と、それにまつわるバックストーリーを教えてもらいました。

 まずは、代表的な万葉歌人である額田王(ぬかたのおおきみ)の歌から。額田王は天武天皇の妃。「日本のクレオパトラ」とも呼ばれるほどスキャンダラスな女性だったそうで、万葉集の中には彼女の綴った恋の歌も多く残されています。その中でも最もよく知られているのが、こちら。天皇の一行が近江の蒲生野に薬草狩りをしに行った時の歌であることが冒頭に記されて、歌が始まります。

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天皇の蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまへる時、額田王の作る歌

あかねさす

紫野行き 標野(しめの)行き

野守は見ずや 君が袖振る

(巻1-20番 額田王)

≪訳≫

「紫草の生えている、狩場の標(しめ)を張った野原を行きながら、あなたは私に袖を振るなんて。そんなことをしたら、野守(番人)に見つかってしまうではございませんか」

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この額田王の作った歌に続くのが、大海人皇子(後の天武天皇)の応じたこの歌。

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紫草の

にほへる妹を 憎くあらば

人妻故に 吾恋ひめやも

(巻1-21番歌)

≪訳≫

「紫草のように美しい人妻のあなたに俺はこんなに恋しているから、思いが抑えられないんだ! 」

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「これは、万葉集の中でもとても有名なやりとりの歌です。奈良時代の当時、『袖を振る』という行為には、文字通り、手より丈の長い着物の袖が揺れるという意味のほか、相手の思いを自分に引き寄せたいという願いの気持ちも含まれていました。ですから、この大海人皇子のとった行動は非常に大胆な恋愛アプローチともいえるのです。ただ、これほどまでに大っぴらに天皇家がこんな歌を歌えたのは不思議なこと。これはきっと公共の歌会の場でのことで、2人は擬似恋愛だったのではないか、という説もあります」(桜川さん)

 また額田王は、この歌で袖を振った大海人皇子と、その兄である天智天皇との間で恋愛関係になったとされています。その天智天皇を思って作った次の歌も有名です。

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君待つと

我(あ)が恋ひ居れば 我(わ)が宿の

簾(すだれ)動かし秋の風吹く

(巻4-488番)

≪訳≫

「あの人を恋しくお待ちしていると、我が家の簾がそよそよと動いた。でもお姿はなく、秋風が吹くばかり」

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「当時、結婚は夫婦同居ではなく、男性が女性のもとへ通う妻問い婚でした。今のように電話もメールもない時代、『また来るよ』と言った男性の言葉だけを頼りに、ただ待つしかない切なさを秋風になぞらせた名歌といえるでしょう」(同)

 さすがは恋多き女性として知られた額田王。三角関係で悩んだり翻弄されたりする姿は、今も昔も変わらないんですね。彼女の心情には、現代の女性も大いに共感できるポイントが多そうです。それにしても、こうして改めて万葉集の世界に触れてみると、歴史上の人物の様々な恋模様を知ることができて新鮮ですね!

(池田香織/verb)
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ライター

池田香織

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