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2013.05.04
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2013.05.04
血液型性格診断や占星術、筆跡診断、姓名判断など様々な占いがありますが、中でも世界的に親しまれているものといえば、手相占いではないでしょうか。これは、いつどこで広まっていったのでしょう? 手相鑑定士として活躍している斉藤郷琉さんに教えてもらいました。
「ルーツは東洋と西洋の2つに分けて考えることができます。西洋では、手相占いのルーツは紀元前4000年くらいに遡り、アラビア地方で行われていた手相術が始まりとされているようです。さらに、アリストテレスが記した文献の中にも手相術の記載があったり、他にもアナキサゴラスのようなギリシャの哲学者も手相を研究していたという史実があるようです。また、後にまとめられた『アリストテレスの手相術』という書物(1490年発刊の説や1740年発刊の説がある)が存在することからもその説の信憑性の高さを伺い知れます。ちなみに東洋では、中国大陸で三国志の時代から手相占いが存在していたとされています。
しかし、東洋、西洋、どちらで広まった手相術も発祥はインドだという一説も指摘されており、東洋式と西洋式で手相占いに基本的な違いは無く、線の呼称の表現に違いが生まれた程度のことだという分析も存在します。分かりやすく言うならば、1つの国(インド)から始まり2つの流派が違う大陸で栄えたと言えるでしょう。とはいっても、過去の文献にも歴史書物にも様々な説があり、すべてを解読できたわけではないため、手相占いのルーツとして立証できる確定的な根拠はないというのが正直なところなのです」(手相鑑定士・斉藤郷琉さん)
諸説存在するようですが、手相占いの歴史が紀元前にまで遡るとは…! それでは日本に手相占いが伝わったのはいつなのでしょうか?
「最初に日本に手相鑑定が伝わってきたのは平安時代。中国で記された文献に手相に関する記述があり、仏教と共に東洋手相が伝わったと言われています。以降、一部の陰陽師も手相で占術をしていたようですが、それは一般的に認知されているものではなく、貴族達の間のみでのたしなみでした。それから長い間、庶民の知るところではなかったようです。庶民にまで広く親しまれるようになったのは、江戸時代の後期に観相学の一人者とされる、水野南北氏が記した『南北相法』という書籍がきっかけとなり、広まったとされています」(同)
平安時代から日本に伝わったとすると、国内でも実に1000年以上の歴史があるということ。それだけ古くから信じられてきた手相占いですが、そもそもなぜ、手のシワで運命がわかるのでしょうか?
「なぜ、シワで分かるかということは科学的に証明されていません。しかし、人種によって、目や肌、髪の色は違うにも関わらず、掌のシワ、生命線・頭脳戦・感情線などは全人類に共通して存在します。しかし、より詳細に見ると、その人の現在置かれている状況や人柄や体調などによって微妙に違いが生じ、なおかつ一定の傾向が存在することがわかります。つまり、その人の人生の未来や過去、現在を示す上でシワの方向性や長さ、濃さなどでその人となりの傾向が示されていることは、ほぼ間違いありません。それを、統計で調べあげたものが手相占いなのです。
古くからの言葉で自分の内面や考えを人に安易に伝えてはいけない、タネ明かしをしてはいけないことの表現で、『手の内を明かすな』という言葉がありますよね。つまりそれだけ、手の内=掌というのは、その人の内面を表すという意味を持っているのです」(同)
慣用句として使われるほど、古くから掌というのは大事な意味合いを持っていたんですね。今回先生に教えて頂いた内容をまとめると、
ということ。手相占いが現代でもポピュラーな理由が少し分かった気がします…!
(冨手公嘉/verb)
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