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2015.07.11
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花火大会、海水浴にお祭りと、夏ならではのデートってたくさんありますよね。そんな夏デートを彩る花火や浴衣、スイカ割りなどの「夏の風物詩」。これらは一体いつの時代からあるのでしょうか? 今回は、そのルーツを探ってみました。
「居合切りの修行に用いられていた」、「豊臣秀吉が安土城建築のときに場を盛り上げるために始めた」、「スイカの豊作を占うアフリカの風習が伝わった」などの諸説があるようですが、なかでもロマンチックなのが京都にある地主神社の言い伝え。地主神社の境内にある「恋占いの石」と呼ばれる一対の石。一方の石からもう一方の石まで、目を閉じたまま歩いてたどり着ければ恋が叶うという言い伝えがあります。この「恋占いの石」は、目隠しをした者同士が手探りでお互いにたどり着くと願いが叶うという行為から発生したもので、この名残がスイカ割りにつながっているとか…。目隠しをしたまま、見事スイカまでたどり着いて割れたら、恋が実るということかもしれませんね。
日本の花火の歴史は、1543年にポルトガルから種子島に火縄銃が伝わったことに始まるようです。具体的な始まりははっきりしていませんが、徳川家康の一代記『宮中秘策』によれば、1613年に家康が江戸城内で花火を観賞したのが始まりと言えるようです。そのときは打ち上げ花火ではなく、筒から火花が吹き出すタイプだったそう。その後、新しいもの好きの江戸っ子の間で流行しましたが、当時の家屋は木造で茅葺き屋根だったことから、消防上の理由で隅田川以外での花火禁止令が出たのだとか。
また、花火が夏の風物詩となった理由は、死者の慰霊と悪霊退散のため。江戸時代にコレラが流行したり、全国的な異常気象で飢餓が起きたりして、多数の死者が出たそうです。その死者を供養するため、1733年、隅田川の水神祭で大花火を披露したのが始まりと言われています。この水神祭を催した日が旧暦の5月28日で、現在の7月12日頃。そのため、7月~8月に花火大会が開催されるのですね。
起源は平安時代。もともとは貴族や武士階級の人が蒸し風呂に入る際に身に付けていた着物で、「湯帷子(ゆかたびら)」と呼ばれていたそう。その名が徐々に「浴衣」へと変わっていったようです。浴衣が広く浸透したのは、江戸時代後期。綿の生産量が高まったことと銭湯が普及したことで、庶民も着用するようになり、広まりました。その頃から、風呂上がりの外出着に変化し、現代のように日常的に着るようになったというわけです。
かき氷の歴史は古く、清少納言の『枕草子』の「あてなるもの(上品で美しいもの)」という章には、「削氷(かずりひ)の甘葛(あまづら)に入りて、新しき鋺(かなまり)に入りたる」との記述があります。鋺は金属製のお椀、甘葛はツタの樹液を煮詰めた甘味料のことで、つまりその時代からかき氷が存在していたことが記されています。
また、『日本書紀』には、4世紀頃に「氷室」という氷の貯蔵庫があったことが記載されています。当然、冷凍庫はない時代ですから、氷は貴重品で、かき氷は貴族だけが楽しめる高級品だったようです。そして、幕末に横浜の馬車道に日本初の氷屋が開業したことで、庶民に氷が広まったそう。さらに、日本で初めてアイスクリームを販売したのも、この氷屋なのだとか。
起源は、なんと約2000年前の中国。もともとは竹林に下げ、風の向きや音の鳴り方で吉凶を占う「風鐸(ふうたく)」という道具で、青銅製のものが多かったようです。風鐸は、遣唐使によって仏教とともに日本に伝えられ、「ガランガラン」という音が魔除けになると信じられていました。そのタイミングで「風鈴」という名前が定着したようです。次第に、暑くなる時期の魔除け道具、暑気払いのための道具として定着していき、江戸時代にガラス製の風鈴が作られるようになり、現代の夏の風情を楽しむ道具へと変わっていったそう。
夏の風物詩。現代とは異なる使い方から変化し、今の形に行きついたものが多いようですね。恋人との夏デートの最中に由来の話をすれば、デートがさらに盛り上がるかもしれません! ぜひ、活用してみてくださいね。
(有竹亮介/verb)初出 2012/8/1
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