ヒトメボ

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杉並区荻窪。駅より南口仲通りの最初の角を左に曲がり、数分ほど歩くと、異様な存在感を放つ黄土色の建造物が目に飛び込んできます。丸く出っ張った水色の屋根、右から左に書かれた「西郊ロッヂング」の文字、巨大な木……。外装が目を引くぶん、中がどうなっているのかつい興味をそそられます。そこで今回は、実際に建物の中にお邪魔し「西郊ロッヂング」の正体を確かめてきました。

元は高級志向の下宿先だった。約90年もの歴史が息づく西郊ロッヂング

建物の左手に回ると「西郊」と白い看板が灯る入り口が見えてきます。早速、石畳がのぞく敷地の中へと入っていきましょう。

玄関を開けると、温かみのある木目の床に、年季を感じる赤い絨毯の階段など、昭和の趣が残る空間が広がります。引き戸の「ガラガラ」という音を聞きつけ朗らかな平間ご夫婦が迎えてくれました。

玄関右側には応接間のようなスペースが。ここ西郊ロッヂングを切り盛りする平間ご夫婦に建物のことについて聞いていきます。

ーーこちらは現在、何に利用されている建物なのですか?

平間さん「『西郊』という旅館として運営してます。1930年にここ本館が建設され、1937年に新館が増設されました。『西郊ロッヂング』と表に掲げられている新館の建物は、今は賃貸として貸し出していますね。今では本館、新館共に国の登録有形文化財に指定されているんです」

応接間にあるマントルピース。「登録有形文化財」の文字が書かれた盾が飾られている。

――1930年から旅館経営を?

平間さん「建設当初は、本館、新館共に朝晩の食事がついた下宿施設として運営していたんです。その時代には珍しく全室洋間で、部屋に一台電話機が置かれていたり、マントルピースの中に暖炉が設置されていたりと、高級志向の下宿先として展開していました。当時の荻窪は今で言う軽井沢のような、閑静な避暑地として知られていたんですよ」

給水塔を模してデザインされた新館のルーフ

――何故、内装を洋風にしたのでしょう?

平間さん「西郊ロッヂングを築いた祖父は、もともと宮内省に勤めていてヨーロッパの新しい文化を取り入れやすい環境にいたんです。その後、水道会社に転職した祖父に『建物に給水塔のデザインを取り入れたい』という気持ちが芽生え、新館に給水塔を模した水色のモチーフを取り付けたんです」

電気蓄音機

その後、戦中になると西郊ロッヂングは日本無線軍事会社に接収され、社員の慰安施設として活用されていたのだとか。

平間さん「これは、当時宿泊していた日本無線の社員の方が組み立てた電気蓄音機です。メンテナンスをすれば今でも使うことができるみたいですね。盤上ではレコード、正面のつまみをひねればラジオ音声が流れていたんですよ」

寄木細工が施されたロビーの床

そして戦後、旅館として経営をシフトしていくことになった西郊ロッヂング。宿泊客のニーズに合わせて、営業を続けながら徐々に館内を和風の内装に改修していきます。

平間さん「床は桜の木を張り合わせて造られた寄木細工が施されているんです。似た造りの床は増えているそうですが、主板を中心にして制作されているのが元来からの寄木細工だと職人さんから教えてもらいました」

1階には和の風情が堪能できる宴会場が2室

現在、旅館として運営されている本館の1階は宴会の場として使用され、2階に宿泊できる部屋を設けているのだとか。

平間さん「戦後は宴会の需要が増えたこともあり、1階は宴会利用できる2部屋をご用意しています。26畳の部屋には約30人、35畳の部屋には約60人が着席が可能です」

建物はコの字型になっており、木々の向こう側にもう一つの宴会の部屋が見えます。宴会場の窓からは静謐な空気漂う庭園が望めます。

多くのドラマ撮影現場として使用された宿泊部屋

お次は玄関前の階段を上り、宿泊部屋を見学させていただきました。階段を上がると、風格のあるしつらえが味な廊下が続きます。「4〜5年前は毎月のようにドラマの撮影現場として貸し出しの依頼があったんですよ」とご主人。

平間さん「廊下のこの照明スイッチは建設された1930年からありました。この形状のスイッチは今なかなか見ないですよね」

柱に貼り付けられたこの非常口プレートも建設当初からあるものなのだそう。館内の節々で歴史を感じられ、タイムスリップしたような感覚に陥ります。

外国人から作家までを虜にする「西郊」の素朴な和室

「菊」の部屋

2階で最初にお邪魔したのはこちらの「菊」の部屋。

平間さん「旅館には、若い方からシニアの方まで幅広く宿泊されます。関東から日帰りで来られる方もいらっしゃいますね。窓の木枠や、隣の部屋の扉の音など、現代のマンションでは味わえない懐かしさを感じに来る方が多いようです」

―なんだか物書きが捗りそうな空間ですね。

平間さん「作家や脚本家の人もいらっしゃいますよ。あとは国内だけじゃなく、ヨーロッパやアメリカ、オーストラリアなど海外から来られる方も。中でもイタリアの建築学の教授は毎年のように尋ねて来られて『ただいま!』と言って玄関を上がられます(笑)」

部屋には昭和の名残を思わせるダイヤル式の電話が一台備えられていました。

建築マニア必見。職人の技が光る和室造り

「松」の部屋の船底天井。名前の通り、船底を逆さにしたような形になっている。

次に案内していただいたのは8畳と6畳の和室が続いた計14畳「松」の部屋。網代編みの天井と船底天井造りを仰ぐことができます。

平間さん「この壁は和室に改修する際、わざわざくり抜いてもらったんです。初めから和室を設計するより、洋室から和室にリフォームするのは技術的にもかなり大変なことみたいですよ」

鏡台の上にはレトロなドライヤーを発見。このミニマムなフォルムに、クラシカルなデザイン……まるで映画の小道具のような佇まいに少し感動します。

新館は賃貸物件とは思えない、ホテルのような廊下

本館をぐるりと一周した後は、現在賃貸として貸し出されている新館へ。オートロックのドアを開けると、モスグリーンのカーペットに、深みのある茶色の木製ドアが並び、ホテルのような廊下が広がります。

ドアの上部には20年前に取り付けられた部屋番号のプレートがそのまま貼られていました。

平間さん「ここの部屋には一人暮らし用の設備が整えられています。室内は2000年にリフォームを加えてベランダを増築しました。見学に来られた専門家の方には『この建物はこのまま2〜30年は保ちそうですね』とおっしゃっていただきましたね」

入り口ドアの目の前に設置されたランプも賃貸として貸し出した当初から使われているものなのだそう。本館とはまたひと味違う、シックなアンティークの風合いを感じられました。

1930年から今に至るまで西郊ロッヂングが存続できた理由

今もなお、西郊ロッヂングが荻窪という地に残っている理由をご夫婦はこう語ります。

平間さん「バブルの時代は、毎日にように建築会社から、収益増加を見込んだ部屋の増設の提案電話がきていました。でも、私も主人も昔ながらのこの建物が好きだったのでお断りしてきましたね。そもそも個人で部屋数の多い旅館を営業しようとしたら、どうしても限界がきます。今でもこの西郊ロッヂングが営業できているのは、昔の形を守り抜いてきたからかもしれないです」

一朝一夕では醸し出すことができない、和と洋の情緒を感じられた「西郊ロッヂング」と「西郊」。現代の猥雑さに疲れた人はぜひ一度宿泊してみてはいかがでしょうか。

取材協力:割烹旅館 西郊

(いちじく舞)
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ライター

いちじく舞

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