ヒトメボ

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90年代の終わり、家庭用ゲーム機の次世代機戦争の中で、ゲーマーたちは先行したドリキャスか次発のプレステ2か、どちらを選ぶか悩んだものですね。現在まで続いたのはプレステですが、当時はドリキャスを選んだ人もいたのです。では、なぜドリキャスを選んだのでしょうか!? プレステ2ではなくドリキャスを選んだ理由について、ヒトメボ読者に聞いてみました。

CMの秋元康と湯川専務に影響されたから

「秋元康大先生がプロデュースしたCMの流れで」(東京都・38歳男性)

「湯川専務のCMに押されたので」(東京都・36歳男性)

当時、ドリームキャストの広告・宣伝プロデュースに秋元康先生が起用され話題となりました。藤岡弘、さんを起用した「せがた三四郎」シリーズから「ドリキャスの湯川専務シリーズ」へと移行しましたね。

ソフトの魅力とセガのブランド力を信じたから

「『シーマン』がプレーしたかったので仕方なかった」(東京都・40歳男性)

「セガのゲームこそ至高と思っていたのでドリームキャストを買った」(東京都・43歳男性)

セガは当時から「エッジの効いたゲームを作るメーカー」というイメージがあり、メガドライブ、サターンと続いたゲーム機にも「本当のゲーム好きならセガのマシン」というオーラがありました。セガのブランド力、ソフト力を信じてドリキャスを購入した人は少なくなかったでしょう。

本体の色が決め手になったから

「プレステ2は本体の色が黒くて悪役っぽかったから」(東京都・39歳男性)

「ドリキャスの白は正義の色!」(東京都・44歳男性)

少数派かもしれませんが、ハードの性能、ソフトなどではなく「色」で決めたという人も。初代Playstationの本体は灰色で、プレステ2から本体は黒色という流れができました。これは現在まで踏襲されています。

ネットに接続できたから

「ドリキャスは最初からネットに接続できたので」(東京都・38歳男性)

「ネットの楽しさはドリキャスで知った。通信速度は今と比べたら激遅だったけど」(東京都・36歳男性)

ドリキャスにはゲーム専用機としては珍しくモデムが標準装備されていました。ドリキャスでネットの楽しさを知ったという人は多いでしょう。特にオンラインでテーブルゲームが楽しめる『あつまれ!ぐるぐる温泉』は人気でしたよ。

今となっては「諸行無常」「盛者必衰」のような話ではありますが、当時ドリキャスを熱く支持する多くのファンがいたことは確かです。みなさんは、ドリキャスとプレステ2のどちらを選びましたか?

(柏ケミカル@dcp)
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柏ケミカル@dcp

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