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2018.11.22
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ファッションビル、映画館、ライブハウス、レコード店……。
数々のお店と人々がひしめき合い、今もなお新たなカルチャーが生まれ続けている街、渋谷。
そんな渋谷にゆかりある方々に「私を作った渋谷 5つの地点」と題し、渋谷にあるお店やスポットにまつわる思い出を語っていただきます。
今回は、イベントハウス型飲食店「東京カルチャーカルチャー」の店長兼チーフプロデューサーとして、年間400本以上ものイベントを企画しカルチャーを応援し続けている、横山シンスケ(よこやましんすけ)さん。
お話から、音楽・映画カルチャーが盛んだった30年前の渋谷が見えてきました。
渋谷タワーレコードは、30年前は東急ハンズの先の今もレコード屋が集まる宇田川町の奥の一角にあった。当時はCDすらまだあまり出てない時代で、コアな音楽ファンはみんなその宇田川町タワレコ界隈に密集してた「レコード村」でアナログレコードを掘り買い漁っていた。
僕も(1986年)19歳の夏、死ぬ程好きだったスミスというイギリスのバンドの後に歴史的名盤となった新譜『クイーンイズデッド』の発売が遅れて、いつどの店に入るか分からないので、一か月以上毎日ここに通い詰めて探し回る程おかしくなっていた時期があった。
80年代終わりにレコードからCDに移行し始め、90年代にCDが全盛期を迎え、「渋谷系」なんて言葉まで生まれた。そのレコードからCDへの過渡期と、CDの超ピーク真っ只中の渋谷にいたことは今思い出しても刺激的な体験だった。
今はその宇田川町からCDも消えてきたが、今度は再びアナログレコードが再燃し、新たにアナログレコード専門店がオープンしたり人気になっているのも、さすが音楽情報発信地の渋谷らしい。
映画ファンから見たら渋谷は昔から映画の街で、30年前からすでに大小多くの映画館があり、僕も『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観た時の感動から、『ピンク・フラミンゴ』などカルト映画を観た時の衝撃まで、渋谷には沢山の映画の思い出がある。
中でも一番忘れられないのは1988年、二十歳の夏に今は無き「シネマライズ」で観た伝説のロックミュージカル映画『ロッキー・ホラー・ショー』で、それは今の映画とは違いお客さん参加型の応援上映だった。リピーターのファン達が雨のシーンでみんな傘さすわ、結婚式シーンでお祝いの米粒を投げまくるわ、映画に話しかけまくるわ、とにかくハチャメチャだった。知らないで来たお客さんが怒って帰ったりしてたが、当時の渋谷はそんな「新しい何か」があふれてた街だったし、それをやり抜いたシネマライズもカッコよかった。
あの頃の渋谷の若者のファッション拠点は丸井や109やパルコなどのファッションビルで、僕らはそこで当時全盛期だったDCブランドのビギ、ニコル、メルローズ、コムサ、パーソンズなどを貧乏ながらもみんな丸井のカードで買っていた。
先日、同世代のオッサン達で「一番最初に人生を狂わせたものは?」という話題になった時に多く出た答えが丸井のカードだったのでみんなで大笑いした。
当時、丸井のカードは僕ら貧乏学生でもみんな作れて、ほしい服をローンで買える上にキャッシングまでできたのだ。1985年の春、18歳上京したての何も知らない頭の悪いガキだった僕は、即丸井のカードを作り、ブランド服をローンで買った上に、キャッシングまでしまくり、当然のごとく、そのあと地獄を見たのだった。ああ、バカ懐かしい。
渋谷は昔も今も日本で一番ライブハウスの多い街で、僕は当時バンドをやっていたので、今も渋谷で続く「La.mama(ラママ)」、「eggma(エッグマン)」、「クロコダイル」とかに出ていた。
一番憧れてたライブハウスは、今はもうない初代「渋谷屋根裏」で、センター街の入り口すぐの雑居ビルの中にあった。憧れた理由は大好きな「RCサクセション」が昔出てたからで(サザンもボウイも人気バンドはみんな屋根裏に出てた)、1986年、19歳の夏の屋根裏が無くなる直前の最後の時期に昼の部でやっと出させてもらい、初めてステージに立った時はうれしくて床をなでたのを覚えている。
当時屋根裏で噂になり始めてたのが、まだデビューもしてない「THE BLUE HEARTS」で、僕も見た瞬間に「うわっ、このバンドきっと凄い事になる」と思ったものだ。
初代渋谷屋根裏は1986年8月31日に閉店した。
最後の日に僕も行ったが、飛び入りで清志郎が登場し、近辺は凄い人だかりになり大騒ぎとなった。
その頃から原宿のホコ天で沢山のバンドがライブをやるようになり、ジュンスカやブームなど人気バンドが次々と現れはじめた。
そう、まさに渋谷は空前のバンドブームの前夜だった。
代々木公園は、渋谷という都会の真ん中の立地で、都内でも有数の広大さと美しい自然があふれる素晴らしい公園で。
なんつって、最後に代々木公園の事を真面目に書こうと思ったが、いざ思い出すと代々木公園にはバカ恥ずかしい思い出と、甘酸っぱい思い出しかない。
大好きだった彼女と初めてキスできた場所もここだった。一番忘れられないのは1987年、二十歳の冬にその大好きだった彼女にフラれて大失恋し、友達と代々木公園に酒を持ち込んでヤケ酒飲み会をしたときのこと。
僕が酔っぱらい過ぎて、半裸状態で広い公園で本気で迷子になってマジで遭難しかかってしまい、探し回る友達が警察を呼ぶ寸前で、ブルブル震えながらゾンビみたいに公園の奥をさまよい歩く裸の僕を発見したのだった。ああ、バカ恥ずかしい。ああ、バカ甘酸っぱい。
あの時の友達にもう一度あやまりながら、思い出してたら懐かしくなったからもう一度代々木公園で飲もうと言ったら怒られるかなあ。きっと怒られるだろうな。
横山シンスケ(よこやま しんすけ)
渋谷のイベントハウス「東京カルチャーカルチャー」店長・チーフプロデューサー。前職は新宿ロフトプラスワンの店長やプロデューサーとして様々なイベントを企画。その他、ライター、司会、外部イベントとマルチに活躍している。
渋谷・東京カルチャーカルチャー:http://tokyocultureculture.com/
※「私を作った渋谷 5つの地点」は、ヒトメボアプリ内ではマップ上で確認いただけます。
(撮影、編集/高山諒+ヒャクマンボルト)
(横山シンスケ)
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