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2018.08.13
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2018.08.13
現在アラフィフの人が小学生のころは、たいてい学区内に何軒かの駄菓子屋があり、放課後になると子供たちが集まって遊んでいました。現在は駄菓子屋を見かけることも少なくなりましたが、アラフィフ世代の心の中には小学生のころの思い出として記憶されています。駄菓子屋の思い出について、ヒトメボ読者に聞いてみました。
「そろばん塾に行く時は、途中にある駄菓子屋でよく時間を潰していた。だいたい同じような顔ぶれが集まって、おしゃべりしたり店の前にあるゲームで遊んだりしていた」(大阪府・53歳男性)
「団地の近くに駄菓子屋があって、その団地の子供が集まって遊んでいました。集まるのはいつもだいたい同じメンツで、ある程度の人数が集まると公園に移動して野球をしたりしていました」(千葉県・49歳男性)
昔の子供は、同じ団地のグループで集まって遊んでいることが多かったですね。子供たちが集まる駄菓子屋も、団地ごとに決まっていることが珍しくありませんでした。店の前の道路でおやつを食べたり遊んだりしていると、他の友達と会うこともしばしば。駄菓子屋が子供の社交場のひとつでもありました。
「駄菓子屋には、めんこやベーゴマなどのおもちゃも売っていた。集まっている友達とは、そのようなおもちゃで遊んでいたことが多かったかな」(福岡県・54歳男性)
「私が行ってた駄菓子屋にはベーゴマが売っていなかった。めんこやおはじき、ビー玉などがあったので、それを買って遊んだ」(神奈川県・50歳男性)
駄菓子屋にはお菓子だけでなく、ベーゴマ、めんこ、ビー玉、おはじき、ゴムボールなどのおもちゃを売っていることも多かったですね。ベーゴマやめんこなど、お店の前で友達と遊んだという人もいるのでは? 昔は野球をする子供が多かったので、色付きのゴムボールを買う男子がたくさんいました。
「テレビCMで見たお菓子が売ってないか、よく近所の駄菓子屋に見に行った。結局売ってなくて、いつもの駄菓子を買って帰ることが多かったと記憶しています。でも、今になって考えるとそれらのお菓子は少し高価で、駄菓子屋の品揃えとは違っていたかも」(千葉県・52歳男性)
「テレビで『きのこの山』のCMを初めて見て、どうしても食べてみたくて駄菓子屋に行きました。その時は売っていなかったんだけど、後日おばさんが仕入れてくれました」(兵庫県・51歳男性)
1970〜1980年代は、それまでにないような新しいお菓子がたくさん発売されました。今でも新商品はたくさん発売されていますが、コンテンツが豊富な時代ですから、50代の人が子供のころに感じた目新しさやインパクトはなかなか感じられないかもしれませんね。当時発売されたお菓子の中には『きのこの山』のように現在も定番商品として生き残っているものもあります。
「1980年ごろ、通っていた駄菓子屋が『パックマン』を置き始めた。ゲームセンターには行けなかったので、そこでよく遊んでいました。今まで店に来たことがない子も遊びに来るようになって賑やかだった。ゲームはときどき入れ替わってました」(東京都・54歳男性)
「駄菓子屋の前に山登りゲームやメダルゲームが置いてあって、それで遊ぶのが楽しみだった。ルーレットで30枚当てた時はとても興奮した。自分が駄菓子屋に行かなくなったころには、『ドンキーコング』などのテレビゲームを置くようになっていて、小中学生が集まっていた」(東京都・55歳男性)
駄菓子屋には、よくメダルゲームの類が置いてありました。集めたメダルは換金してもらえるわけではありません。それでも夢中で遊んでいる子供もいましたね。『スペースインベーダー』の大流行以降、1980年代にはゲームセンターと同じようなテレビゲームを置いている駄菓子屋も増えました。
雑貨やお菓子、ゲームなどを通して子供同士の社交場として機能していた駄菓子屋。時代の流れにより淘汰されて行くのは仕方ないことなのかもしれませんが、少し寂しい気もします。みなさんは、駄菓子屋にどんな思い出がありますか?
(藤野晶@dcp)
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