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ファッションビル、映画館、ライブハウス、レコード店……。

数々のお店と人々がひしめき合い、今もなお新たなカルチャーが生まれ続けている街、渋谷。

そんな渋谷にゆかりある方々に「私を作った渋谷 5つの地点」と題し、渋谷にあるお店やスポットにまつわる思い出を語っていただきます。

今回は、渋谷のミニシアター「アップリンク」代表の、浅井隆(あさいたかし)さん。

かつてそこに確かに存在し、今に続くカルチャーを発信してきた劇場やイベントホールが蘇ります。

1.劇団人生をスタートさせた『天井桟敷』

在大手コーヒーチェーンが建つビル付近に、当時「天井桟敷」があった

1974年の大阪から上京した夏、天井桟敷に入団しました。その時劇団は渋谷の並木橋の手前、場外馬券場の近くにありました。外壁に大きな顔をあしらった、粟津潔さんのデザインが目立つビルでした。

地下の劇場で面接をしたのですが、真っ暗な部屋でスポットライトを当てられながら劇団員に囲まれ、「大変なところに来たな」とドキドキしました。

1階には寺山修司さんのお母さんが営む喫茶店があり、『家出のすすめ』を読んで上京した身としては、その著者のお母さんがなぜここにいるのか不思議でした。地下の劇場は練習の場でもあり、公演の場でもありました。

渋谷の映画館「イメージフォーラム」の前身である「アンダーグラウンド・シネマテーク」が毎月上映会を催していました。台風が来た際は、1階から水が入ってきて、バケツで水を掻き出すのを手伝った覚えがあります。

2.舞台監督として汗を流した『パルコ劇場』

パルコ劇場があった「渋谷パルコ」は現在ビルの建替えを行っており、2019年秋にオープン予定

ここは、寺山修司演出の『中国の不思議な役人』(1977年)と『青ひげ公の城』(1979年)の公演中、舞台監督として毎日通っていた劇場です。

舞台監督といえども給料は無し。チケットのノルマがあり、深夜のビル清掃などのアルバイトをして生計を立てていました。当時は海外公演も多く、自分たちのやったことが評価されることが嬉しくて、そんな生活もまったく辛くありませんでした。

時代のせいもあり、アングラ劇団と言われていた天井桟敷の内部では、西武資本の元で公演を行うべきかどうかが議論されましたが、結果、天井桟敷の公演ではなく、パルコ・プロデュースならいいのではということで、行うことになりました。

おしゃれなファッションビルとアングラ劇団の公演、このころの西武カルチャーは資本の力で面白ければ飲み込んでいくという度量があったように思います。

3.様々なカルチャーが入り乱れていた『渋谷ジァン・ジァン』

公園通り「東京山手教会」の地下に渋谷ジァン・ジァンはあった

今はカフェになっていますが、以前はイベントホールでした。ホールといってもエル字型の場内は使いにくい空間でしたが、一人芝居からライブ、演劇までいろんなイベントが行われていました。今と違ってカルチャーが細分化されていない時代のイベントスペースでした。

ここでは天井桟敷の『観客席』(1978年)を公演しました。

舞台には何もなく客席に演者が紛れ込んで、完全暗転の中、演劇が進行していくという構造の劇でした。時々舞台でも何かが起こり、突然討論会が行われるシーンでは、自分が寺山修司を演じた記憶があります。

4.アップリンク配給作品を上映したカルチャーの発信地『シードホール』

かつてシードホールがあった場所は現在「無印良品」となっている

今は無印良品となっていますが、かつて西武文化華やかなりし頃、そこには「シードホール(THE SEED HALL)」という場があり、アートの展示やライブから映画上映まで、多目的ホールとして公園通りのカルチャーを担っていました。

アップリンク配給作品では、ここで南アフリカ映画『マパンツラ』を上映しました。まだアパルトヘイトの時代で、南ア出身の監督が現状をリアルに描いた作品で、黒人が牢屋に囚われますが、その牢屋で黒人を管理する側も黒人という現実を描いた映画でした。アメリカの黒人問題で高名な方に、黒人が黒人を支配しているようで、こういう映画を日本人に見せるのは早すぎるということを言われたのを覚えています。

当時はインターネットもない時代ですから、飲み屋やジャズ喫茶、ライブハウスなどにスタッフたちと一緒にチラシまきをして宣伝したのですが、チラシやポスターで人々の気を引かねばならないので、ビジュアルへのこだわりはそこで随分培われたように思います。

5.アップリンクが渋谷に根付いたそのはじまり『横山ビル』

渋谷ファイヤー通りにある横山ビル

目黒に事務所を構えていたアップリンクが初めて渋谷に引っ越してきた場所です。自分でスペースを作るならゆかりのある土地にしようと思い、いわゆるファイヤー通りにあるビルの3階に事務所を構え、5階に「アップリンク・ファクトリー」という多目的スペースを作りました。

こうして渋谷で自分が関わった場所を思い出すと、全部多目的なスペースで、ライブもやれば演劇も行い、そして映画も上映する場所でした。雑多なものから新しいものが生まれていくという実感から自分が作った最初のスペースも多目的使用のスペースで、今のアップリンク渋谷、そして12月オープンの新しい映画館「アップリンク吉祥寺」に繋がっていると改めて思います。

プロフィール

浅井隆(あさい たかし)

アップリンク代表/未来の映画館プロデューサー。 1987 年、有限会社アップリンクを設立。デレク・ジャーマン監督作品をはじめ、国内外の多様な価値観を持った映画を多数配給。2005 年には渋谷区宇田川町に映画館、ギャラリー、カフェレストランを一か所に集めた総合施設「アップリンク渋谷」をオープン。2011 年にデジタルカルチャーマガジン「webDICE」、2016 年には動画配信サービス「アップリンク・クラウド」をスタートし、映画を中心とした様々なインディペンデント・カルチャーを発信し続けている。2018年12月14日、吉祥寺に新しい映画館「アップリンク吉祥寺」をオープン。

※「私を作った渋谷 5つの地点」は、ヒトメボアプリ内ではマップ上で確認いただけます。

(撮影、編集/高山諒+ヒャクマンボルト)

(浅井隆)
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