ヒトメボ

日本古典文学研究家

桜川ちはや

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読了時間:約4分

 日本最古の歌集である万葉集には、恋の和歌が数多く収められていることをご存知でしょうか? そこで今回は、作者不明の「詠み人知らず」とされている歌の中から、甘くて切ない恋心を描いた作品をピックアップ! 万葉集研究家で『女と男の万葉集』の著者である桜川ちはやさんに、現代の私たちの恋愛観に通じる和歌を紹介して頂きました。

 まずは、誰もがきっと一度は経験したことのあるであろう甘酸っぱい想いを綴った、こんな歌から。

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紅(くれない)の

薄染めの衣(きぬ) 浅らかに

相見し人に 恋ふるころかも

(巻12-2966番 詠み人知らず)

≪訳≫

「紅花の薄く染めた衣のように、あっさりと会ったあの人が恋しいこのごろだなあ」

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「この歌は、まさに『一目ぼれ』の恋を歌ったものです。紅花を原料にして布を真紅に染めるには、何度も何度も繰り返し布を染料に浸さなければなりません。おそらくサッと一回染めたくらいでは、薄いピンク色くらいにしかならないでしょう。そんな染物に、ちらっと見かけただけの人を重ねているのです。『もしかしたらまたあの場所で、あの時間に、会えるんじゃないかなぁ…』と思ってしまう乙女心。それこそ、相手のデータをネットで探ることなんてできない時代ですからね。“運命の偶然”が恋心を誘うのです」(同)

 なるほど…これは確かに共感! 「今朝電車で見かけたあの人、明日も同じ時刻に乗車すれば会えるかな…」なんて思った経験のある人は、筆者だけじゃないはずです。

 そしてもうひとつ、まるで映画のワンシーンのような、なんとも絶妙な女心を表現した歌もご紹介します。

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朝寝髪

我は梳(けづ)らじ 愛(うるは)しき

君が手枕(たまくら) 触れてしものを

(巻11-2578番 詠み人知らず)

≪訳≫

「朝の寝髪を私は櫛でといたりはしない。だって、愛しているあなたの手枕に触れたのだから」

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「当時は、明け方になると男性が帰ってしまう妻問い婚の時代です。2人一緒に寝て迎えた朝に、愛する人の手枕が触れて乱れた髪。そんな“恋人がいた痕跡”を、自分の体に残しておきたい女心…。彼が去ったあと、起きて朝の身支度を整えてしまうまでの短い間の甘美な気持ちが、見事に表現されています。今から約1300年前の恋心を表現した歌ですが、まさに『こういうのって、今もあるよね』と思わせる歌です」(同)

 ちなみに、当時は結婚して独立の所帯を持ちながら暮らすことは稀で、納税のための労働を一族の共同体の中でしなければなりませんでした。庶民も、朝になれば自分の家に戻って仕事をしなければならなかったのです。また、兵役で遠くに行かなければならない場合や、身分違いの忍ぶ恋など、恋愛における様々な「壁」が存在していたそう。

「当時の人々は、気軽に付き合ってはすぐ別れることを繰り返すなんて、そう簡単にはしなかったのです。一度離ればなれになったらもう会えないような関係になるかもしれない。だからこそ、一つ一つの出会いを大切にしていました。出会って惹かれあう気持ちも、一緒に過ごす時間も、今よりずっと濃くて、切なくて、深かったのでしょう」(同)

 当時の恋愛事情を思うと、なんだか胸が締め付けられるような気持ちです…。現代では忘れかけていた恋の尊さに、気づかせてくれる歌ですね。

 時代は違っても、今を生きる私たちに様々な恋愛のヒントを与えてくれる万葉集。先人たちの恋の歴史を探ってみると、新たな恋愛の価値観に出逢えるかもしれませんよ。

(池田香織/verb)
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ライター

池田香織

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